森永卓郎さんがお亡くなりになった

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私は森永さんのファンではなかったけれど、余命を宣告されてからの活動の少しは見てました。
息子の森永康平さんのyoutube動画も経済への関心で少し見ました。

腫瘍マーカーの数値がすごく高くなって・・・という虎の門ニュースの動画を見ていましたが
それからほんの数日で亡くなられたと報道がありました。
もう一回危機を出してくださると思っておりました。
本当に最後まで戦っておられて、すごい方だと感じました。

「生きてる間にやることをやるんだ」というメッセージを出しておられた姿が鮮明に残りました。

訃報に接して、自分も「やることはやろう」と改めて思ったわけですが
この数日、自分にもいくつか出来事が起こって
森永さんの訃報と重なりました。

当たり前の毎日、代わり映えのしない日常は奇跡の上に成り立っている・・・
そういう気持ちはすでにありましたが
それに「やることはやろう」という気持ちが乗っかりました。

この動画は昨日の夜、個人的に不安を抱えて一人見ていました。

この方がたは幸福の科学の流れをくむ方たちのようで、
うそかまことかはさっぱりわからない世界ですが

私は時々見ています。
森永さんが登場するなんて早すぎると思って見ました。

その中で森永さんは泣いておられました。
「どうしてもっと自分のやるべきことをしなかったんだろう」という後悔が強くて
そういうお気持ちが残ったということが、まず意外でした。
あれだけ頑張って発言なさったのに
ご自分ではそこを評価されてなくて
森永さんにとっては自分の命が限られてしか、
自分の本当に言いたいこと
知ってることを話せなかったというお気持ちがとても強かったようです。
うそかまことは、わかりませんけど・・・

感謝する
ありがとうの気持ちを持つってどういうことなのだろうと今日考えました。

死ぬときに持っていけるものは気持ちしかないわけです。
向こうの世界に物の価値はないから
自分の気持ちや心しか持っていけない

でもそのことが正しいのなら
あの世の世界はこの世の上位というか、
この世をたぶん包みこんでいるはずなので
この世でもその価値観は通用すると思えて
もしかしたら

大切なのはただ気持ちだけ、心だけなのかもしれないと・・・

なにかをもらって「ありがとう」
なにかをしてもらって「ありがとう」

でもなんの対象もなくて
ほぼ抽象的な「ありがとう」も存在して
その威力は同等なのかもしれないと思いました。


光の柱を立てるとは、そういうことなのかもしれないと。


言い換えると
何もしなていい、ただ生きているだけで
光の柱はたてられる
光の柱は感情で立つ
あの世で唯一必要とされるのは
この世でも本当は唯一の必要で
もしかしたらその共通項は
ただ気持ちだけなのかも?と思いました。

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